「深刻になる」と「真剣になる」の違いから学ぶこと
- tackrolofome
- 9月3日
- 読了時間: 2分

当時、潜在意識の勉強をしている時に学んだ事。
「深刻になる事と真剣になる事は何が違うか?」
単純に違う意味合いだということはわかる。
深刻になる方は、不安や心配があり、どうしようかという感じで、
真剣になる方は、高い集中力や思いを一点に集めて向き合う感じ。
当時の自分はおそらく何が違うかと聞かれたら、こんな回答をしていたと思う。
(ちなみに今回の当時というのは25歳くらいの私)
その場のシチュエーションに応じて、適切に言葉は選べるのだろう。
ただ、漠然となんとなく、どちらも似たような意味合いの枠組みに位置付けている人は少なからずいるのではないかと感じている。
どちらの言葉も、何か目的や向き合う事、やるべきことがあり、その時の自分の在り方に対して使われる言葉だ。
では改めて、深刻になる事と、真剣になる事は何が違うのか?
それはその言葉の背後にある言葉に、明確な答えがある。
深刻になる、というのは、その裏には「ダメかもしれない」という無意識があり、
真剣になる、というのは、その裏には「いけるかもしれない」という無意識がある。
やっかいにも私たちは、この無意識側の言葉に強く影響を受けてしまう。
これを学んだ時、当時の私にとってはとても衝撃的だった。
そして時が進むにつれて、たったこれだけの教えの中にどれだけ多くの重要なヒントが詰まっているか気づくようになり、また多くの人たちもこの原理の影響を受けていると感じるようにもなった。
この原理、というのは
言葉や行動の表の意味合いではなく、その言葉の裏側にある、無意識側に生じる言葉の意味が、自分の認識を決定してしまう事だ。
普段自分が何気なく発する言葉を、意識してその背後をみようとしてみると、違ったものが見えてくる。
なぜ自分はこんな反応を返すのか、なんでそう思ってるのか、
そして案外、突き詰めると条件反射的で、無意識に発言をしていたりする事に気づく。
この続きはまた。
しかしながら、
最近は潜在意識というと、イコール引き寄せの法則になってしまう。
確かに、潜在意識のメカニズムを学んでいくと、引き寄る、ように見えるようになってくるのもわかる。
でも潜在意識の学びにおいて、本当に大事な所は、もっと人間くさい人間味のあるメカニズムを知っていく事だと思えてしかたない。
38歳の田口
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